光明院は現在、真義真言宗豊山派に属し、瑠璃山光明院地蔵寺と称します。
本山は奈良県櫻井市の長谷寺です。この長谷寺はボタンの花でも有名です。
その昔、光明院は新編武蔵風土記によれば下総国前林(現在の古河市前林)の東光寺の末寺でありました。
ご本尊である地蔵菩薩は、天正8年(1580年)鳥仏師の作にて藤本三郎の守本尊として造立されたものとあります。
また、境内には薬師堂があり薬師如来坐像が安置されています。
真言密教は大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の大成という形で7世紀ごろのインドで始まりました。
その後中国に伝えられた真言密教は、弘法大師が延暦23年(804年)に長安へ渡った際に恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より、その全てを授かって帰国されました。
弘法大師によって開宗された真言宗は東寺(教王護国寺)や高野山(金剛峰寺)を中心として広められました。
そして平安の末期には中興の祖である興教大師(こうぎょうだいし)によって根来寺(ねごろじ)が創建され、鎌倉時代には頼瑜僧正(らいゆそうじょう)によって新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)が成立、根来寺を中心として栄えましたが、専誉僧正(せんよそうじょう)をはじめとする僧侶達は戦国時代の戦渦により、根来寺を離れることとなりました。
その後、豊臣秀長公に招かれた専誉僧正は、奈良の長谷寺(はせでら)において、豊山派(ぶざんは)を興します。
この豊山派という派名は長谷寺の山号(さんごう)である豊山に由来しています。
江戸時代になると、五代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)公の生母である桂昌院(けいしょういん)が護国寺を建立し、護国寺は江戸を拠点として末寺を増やしました。よって豊山派では宗祖を弘法大師、中興祖を興教大師、派祖を専誉僧正とし、総本山は長谷寺、そして大本山を護国寺としています。規模は現在全国に3,000カ寺、僧侶数5,000人、檀信徒数200万人となっています。
真言宗の教えは弘法大師によって完成しており、即身成仏(そくしんじょうぶつ)に求められます。
その教えは自分自身を深く見つめながら、全ての人が本来持っている仏のような心(仏心)で、仏のように語り(限りない人格)、仏のように行う(悟りの世界)ことを"今このとき"に呼び起こすということです。
この教えをもととして人々が共に高め合い、世界に平和がもたらされて理想のところとする「密厳仏国土(みつごんぶっこくど)」が完成します。
曼荼羅(まんだら)とは、広くものをみて互いを認め合う慈悲(じひ)の心をあらわす『胎蔵法曼荼羅(たいぞうほうまんだら)』と、人生を深める智慧(ちえ)の光があらわされている『金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)』のことを指します。
光明院の本堂にもご本尊様を中心として左右に掲示されており、大日如来を中心に宇宙に遍満する生きとし生けるものの「いのち」を、仏身の姿として描かれたものです。